昭和62年7月20日(架空)

麻物語新聞

~古より世界を支えた神聖なる植物の物語~

人類一万年の伴走者

その歴史と文化を紐解く

社説

麻(ヘンプ、一般的には大麻〈カンナビス〉を指す)は、人類が最も古くから利用してきた植物の一つである。約1万2千年前には西アジアから中央アジアで栽培化され始めたとされ、紀元前1万年頃の中国の遺跡から麻紐の痕跡が確認されている。日本でも縄文時代早期(約1万2千年前)の鳥浜貝塚(福井県)から大麻製の縄が出土しており、「縄文」という言葉の由来となった縄は麻で作られていたことが分かる。

麻は繊維として布や網に、種子は食用油や香辛料に、茎は建材に、葉は薬にもなるなど用途が幅広く、ほんの70年ほど前まで日本人にとって非常に身近な農作物であった。本紙では、麻が世界各地の文化・宗教においてどのような歴史的役割を果たし、どんな象徴性やイメージを持たれてきたかを、多角的かつ網羅的に探る。

日本:神道における麻の神聖なる役割

神社の大麻(おおぬさ) 神社の大麻(おおぬさ)は
麻を用いたお祓い道具

日本では古来より麻が生活と信仰の両面で重要な位置を占めてきた。縄文時代から衣食住に欠かせない繊維・食品として利用され、また神道の世界では清浄の象徴として神聖視された。『古事記』『日本書紀』などの神話にも麻が登場し、有名な天岩戸の物語では、天照大神が岩屋に隠れた後の儀式で供え物として青和幣(あおにぎて)という麻の布が用意されている。

神道の祭祀では、麻は大麻(おおぬさ)と呼ばれるお祓い道具に用いられてきた。大麻とは本来「神に捧げる麻布」を意味し、「幣帛(ぬさ)」と呼ばれる布のお供えの多くが麻布だったため「麻」の字が充てられたものである。木の棒や榊(さかき)の枝の先に紙垂(しで)や麻苧(あさお)(麻の繊維)を付けて作られ、神職が祓い清めの儀式で振るうことで悪霊や汚れを祓う。

知っていますか?

日本の国技・相撲でも横綱の土俵入りで締める綱に麻が使われており、力士自らが綯って作る麻締め(あさじめ)が神聖な横綱のしめ縄となります。横綱の綱は「神が宿る綱」とされ縁起物として扱われます。

このように日本では、麻は古代から神道の儀礼に欠かせない清浄の象徴であった。一方で日常生活でも衣料や漁網、縄、紙、食用の七味唐辛子の実に至るまで幅広く使われ、戦時中の昭和には軍需物資の90%が麻由来だったとの記録もある。

戦後、GHQの指導で制定された大麻取締法(1948年)により一般の麻栽培・所持は禁止されたが、現在でも許可制で一部の農家が神事用の麻(繊維用大麻)を細々と栽培している。また近年は国産麻の復興を目指し、伊勢麻振興協会の設立(2015年)など動きも出てきている。

中国・インド・中東:麻と精神世界

■ 中国における麻の位置づけ

中国では麻(マ、漢字では「麻」)は古代より繊維作物・薬用植物として重視されてきた。紀元前千年代には既に大陸各地で栽培されており、漢代には麻布の衣服や麻紙の製造が行われている。世界最古級の紙は前漢末の蔡倫による発明とされるが、その材料にも麻が含まれていた。

漢方の世界でも、後漢時代成立の中国最古の薬物本『神農本草経』において大麻は薬草「麻蕡(まふん)」として登場し、その麻酔作用・陶酔作用について言及されている。例えば麻の種子(火麻仁)は便通薬として、麻の花穂は疼痛緩和などに使われた記録がある。

■ インドにおける麻:信仰と医療

インドでは大麻(サンスクリットでバングまたはガンジャ等)が古代から宗教・医療両面で重要な役割を果たしている。ヒンドゥー教の伝統では、大麻から作る飲料バング(Bhang)が神聖な供え物とされ、とりわけシヴァ神との関わりが深いことで知られる。

少なくとも紀元前1000年頃から、乾燥した大麻の葉や花をすり潰して乳や香辛料と混ぜたバングが祭礼で飲まれてきた記録があり、現在でも春のホーリー祭(色彩の祭典)ではバング・ラッシーと呼ばれる飲料が振る舞われる。

中東の逸話

中東起源の逸話として有名なのがアサシン(暗殺教団)の伝説である。中世ペルシアの山岳要塞アル=アラムートを拠点としたイスラム教派(ニザール派)は、暗殺者集団「ハッシャーシーン(Hashashin)」と呼ばれ、指導者が配下にハシーシュを与えて幻覚の中で天国を見せ、使命に殉じる暗殺者を育成したという話が伝わる。この逸話は史実かどうか議論があるが、「ハッシャーシーン」が英語の"Assassin"の語源になったとも言われている。

特集
歴史探訪

アフリカ・先住民文化:麻の儀式

アフリカ大陸では、大麻は外来種ではあるが、中世以降に伝来して各地で独自の利用法が発展した。東アフリカ沿岸やインド洋交易を通じて10世紀頃までに大麻が伝播し、サハラ以南でも栽培・使用が広がったと考えられている。

19世紀中央アフリカのコンゴ地域では、大麻が宗教改革の象徴となった例がある。1870年頃、現在のコンゴ民主共和国にあたるバシレンゲ(バルバ)族の指導者カランバ・ムケンゲは、ベナ・リアンバ(Bena Riamba)すなわち「麻喫煙者の宗教結社」を創始した。彼らは従来の呪術的な偶像崇拝を捨て、大麻の煙をともに吸うことで血盟(ブラッドブラザー)の絆を結ぶ共同体信仰へと転向した。麻を神聖視し「我らは皆きょうだい」とするこのコミュニティは一種の原始共産制を実践し、旧来の部族宗教を刷新する社会運動となったのである。

■ アメリカ先住民と麻の出会い

北米・南米の先住民(ネイティブアメリカン)社会において、伝統的に用いられてきた陶酔植物はタバコ、ペヨーテ、アヤワスカなど大麻以外のものが中心だった。というのも、大麻は旧大陸原産であり、ヨーロッパ人到来以前のアメリカ大陸には存在しなかったためである。

大麻が新大陸にもたらされたのはコロンブス以降で、16世紀にはスペイン人が中南米に麻の種を持ち込み栽培を開始し、英領北米でも17世紀にバージニア植民地で産業用ヘンプ栽培が奨励された。

欧米における麻:産業から規制へ

ヨーロッパにおいて、麻は古代から重要な繊維資源だった。古代ギリシア・ローマでは麻布や麻縄が日用品として使われ、特にローマでは船舶の帆布や縄に麻を用いた記録がある。中世ヨーロッパでも農村社会で麻栽培は一般的で、麻の種子は四旬節(肉食を断つ期間)の栄養食やスープの材料に、麻繊維は衣服・麻袋・ロープにと広く利用された。

麻のもう一つの重要な役割は、帝国を支えた戦略資源としての側面である。16~18世紀の大航海時代、ヨーロッパ各国の帆船は大量の麻帆布と麻縄無しには航海できなかった。麻は海水に強く腐りにくい繊維であり、ヴァイキングから近世の海軍まで船の帆・ロープ・漁網・コーキング材に不可欠だった。実際、「キャンバス(canvas)」という言葉はラテン語のcannabis(大麻)に由来し、船の帆=麻布というほど麻と航海は結び付いていた。

第二次大戦中のアメリカの「Hemp for Victory(勝利のための麻)」キャンペーンのポスター

20世紀前半になると、欧米諸国は大麻を一転して違法な麻薬とみなすようになる。その背景には、乱用による社会不安の懸念や人種偏見、産業構造の変化(化学繊維や製薬業界の台頭)があったと指摘されている。アメリカ合衆国では1937年に「マリファナ税法」が施行され、大麻の事実上の禁止が始まった。

しかし1950~60年代になると、西欧圏で再び大麻の位置づけが揺れ始める。ビートニクやヒッピーに代表されるカウンターカルチャー運動が興隆し、彼ら若者は大麻を「精神の解放」や「反体制の象徴」として積極的に消費した。1967年「サマー・オブ・ラブ」や1969年ウッドストック・フェスティバルでは、大麻の煙が平和と自由の象徴のように宙を舞い、ロック音楽と共にカウンターカルチャーのアイコンとなった。

麻をめぐる世界の重要年表
紀元前10000年頃
中国で麻紐の痕跡。日本では縄文時代に麻縄利用
紀元前2700年頃
中国の神農本草経に薬用「麻蕡」として記載
紀元前1000年頃
インドでバング(大麻飲料)の宗教儀式利用
16-18世紀
大航海時代、麻は船舶用帆布・ロープの戦略資源に
1937年
米国「マリファナ税法」施行、実質的な麻薬規制開始
1948年
日本で大麻取締法制定(GHQ指導による)
1960年代
カウンターカルチャー運動で大麻が再注目される
2020年
国連、大麻を危険ドラッグ分類から除外する決議

麻の産業的利用とその変遷

麻は古来より人間の生活基盤を支えてきた万能資源であった。その主な用途は以下の通りである。

■ 繊維(布・縄・帆など):麻は人類最古の布素材であり、世界各地で衣服や布地に用いられてきた。中国では紀元前4000年頃から麻織物が存在し、日本でも古代より麻布が衣服や履物に使われた。特に強靭な縄・綱が得られるため、船舶のロープ・帆(キャンバス)には麻が不可欠だった。

■ 紙・書物:麻は良質な紙の原料ともなった。中国では漢代に麻と楮(こうぞ)で紙が発明され、以降書物の材料となった。ヨーロッパでも1150年頃、イスラム教徒の支配下にあったスペインで初の麻紙工場が設立されている。現在の紙幣にも麻(または麻に類する強靭な植物繊維)が混合されており、耐久性を高めている。

■ 食用(麻の実・油):麻の種子(ヘンプシード、麻の実)は古来より食用とされ、栄養価の高さから「スーパーフード」として現代でも注目されている。縄文時代の日本でも麻の実を炒って食べたり油を絞って利用していた形跡がある。麻の実は七味唐辛子の材料にも伝統的に含まれ、中世ヨーロッパでも麻のお粥が食された。

■ 医薬:麻は紀元前から薬として用いられてきた。中国の神農本草経に麻が載り、インドのアーユルヴェーダ医学でも処方に組み込まれ、古代中東や欧州の医学者も鎮痛・催眠薬として調合に加えた。19世紀には麻由来の医薬品が世界的に流通し、現代でも医療大麻として癌やてんかん患者の苦痛軽減に使われている。

■ 建材・工業材料:麻の茎(おがら)は中空で軽量かつ調湿性に優れ、建築資材として古くから利用された。日本では茅葺屋根の下地に麻の茎を使った例があり、現代では麻の茎チップと石灰から作るヘンプクリート(麻コンクリート)がエコ建材として注目されている。

結び

麻の多面的な歴史は、人類社会が植物資源とどのように関わり、意味付けしてきたかを考える上で格好の教材となる。近年、持続可能な社会への関心が高まる中で、再び麻の産業利用や伝統文化が注目されている。麻紐一本、麻の実一粒にも、長い歴史の積み重ねと人々の思いが宿っていることを、本紙が示すことができていれば幸いである。

麻を巡る文化的遺産を正しく理解し継承しつつ、その有用性を現代に活かしていくことが、21世紀の私たちに課せられた課題と言えるであろう。